社会について語るときに一般的に言えることですけど、個人についてこうやった方がいいよってことと、社会全体がこうなるってことは絶対混同してはいけないんですよ。どういうことかというと、例えば価値評価経済になったとしても、勝てる人はいいっていう話なんですよね。例えば自己啓発本の基本的なパターンは、オレ勝てたらからお前らも勝てよっていう話なんですよ。でも全員勝ったら価値がなくなるわけですからね。
だから自己啓発本の基本的な構造は、個人の成功体験と社会の成功体験を混ぜるっていうことによって成立するわけで。結局、価値、評価で勝てる人っていうのはいるでしょうけど、全員がそれで勝てるわけではないんですよ。当然のことながら自分を切り売りして一生なんとかやっていける人っていうのは非常に少ないわけですね。それは単に能力の問題だけじゃないですよ。例えばたまたまある人生で、あるビッグウェーブに乗ったんで、大して能力が無いんだけどカリスマ性がついちゃったっていう人もいっぱいいるはずです。
僕だってそうかもしれない。とにかく重要なのは少ないということです。希少財によって成立しているんですカリスマは。つまり希少じゃなくなったらカリスマじゃないんですよ。価値っていうのは希少だから成立するから、みんなが価値経済で上手くいくことはない。価値の定義上。
だからそういう点で価値評価経済がきたとしても、自分の中で個人の価値で生き残っていけない人たちをどういう風にメンテナンスするかっていう問題があって、実はそれこそが社会保障とか公共性の問題なので、社会保障や公共性が失われてしまった今、個人の価値でがんばりましょうっていうのは、ほとんど語義矛盾に近い、僕の認識からすると、という感じ。
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